「ちょっと……騒がないでくれない? ここがどこだかわからない人は今すぐ出てってよね。ただでさえ狭いのにさ」
 小さく溜息を付くエリックはもう一度部屋を見渡した。
 エリックの城であるシルフの医務室はギュウギュウ詰めの満員電車よろしく、超満員になっていた。
 それもこれも情報の伝わる速度が異常に早いシルフクルーにアヤキが倒れて医務室に運ばれたという重要情報が流れたからだ。
 一体アヤキに何があったのか、アヤキの容体はどうなのか、気になったクルー達は自分達が探していた黒封筒を持ったまま医務室に集まって来て、アヤキのベッドの周りで垣根のようになっている。
 ベッドに寝かされているアヤキはその瞳を固く閉じ、胸元は規則正しく呼吸の膨らみを繰り返していた。
 普段アヤキの笑顔や怒った顔など強い心情を表す表情しか見ていなかったクルー達はアヤキの寝顔を物珍しそうに眺めている。
 寝ているアヤキの顔色は良く、腕に付けられた点滴の管さえなければただ寝ているのと変わらなかっただろう。
「あ、アヤキさん死んじゃったりしませんよねっ?」
 そう言ってエリックに詰め寄ったのはアヤキファンクラブの女の子達だった。
 大好きなアヤキが倒れたと聞いて真っ先に医務室に駆け込んだのは女の子がほとんどだ。
 女の子達は心配そうに顔を歪め、中にはもう泣き出してしまっている子達もいる。
 エリックはさすがにそんな子達に辛辣な言葉を言わず、安心させるように少し口元で笑って頷いた。
「大丈夫。過労だよ。ちょっと、どころのじゃないけどね」
「過労だって?」
 アヤキのすぐ傍で椅子に座っていたレンが声を上げる。
 一体アヤキの身にどんな病が降りかかったのかと、レンはそれこそ心の底から心配していたのだ。
 それがただの過労と聞いて、レンは何だか安心とも、どこか骨折り損とも感じてガックリと肩を落とした。
「過労でも馬鹿にしちゃいけないよ。ったく、どんだけ無理してたんだか……僕が見てもわからないようにしてたなんて。これ見てみなよ」
 静かにアヤキの傍へ寄るエリックはアヤキの顔にそっと手を触れる。そして目の下のところをグイ、と擦った。
 するとそこから現れるのは目の下に出来た大きなクマ。
「過労と言っても、アヤキさんのは単なる睡眠不足。食べるだけの元気はあったみたいだけど、どうしてこんなになるまで……何やってたんだか。わざわざ化粧で隠してまでさ」
 アヤキはコンシーラーを塗って目元のクマを隠していたらしい。
 急に倒れるほどの睡眠不足のまま、アヤキはシルフを地球へ帰還させ、帰還パーティーを用意したり、その他諸々の仕事をほとんどやっていた。
 多忙と言えば多忙だが、それでも少しは睡眠を取る時間ぐらいあったはずだ。
 しかし貴重な睡眠時間さえ、アヤキは寝ずに何かしていた。自分の睡眠を削ってまでの何かを。
「……またアヤキには重要だが俺達にはどうでもいいような事じゃないだろうな」
 いや、その可能性は高いな、とレンは一人思って小さく溜息を付いた。
 一度シンと静まり返る医務室に徐々に大きくなる地鳴りが聞こえてくる。
 まるで牛の大群が走ってくるような地響きが、と医務室に居るクルー達が怪訝に思って辺りを見回した時だった。
「アヤキが倒れたって本当か!」
 医務室の扉が開き、そこに大漁の黒封筒を風呂敷に包んで背中に背負ったハヤトがいる。
「大丈夫なのか! せっかくこんなに封筒かき集めてきたのに!」
 医務室に入るなり熱く吼えるハヤトに、またもエリックが溜息を付いて頭を抱えた。
「静かにしてって言っても、ハヤトさんは聞かないだろうね」
「落ち着けハヤト、アヤキは大丈夫だ。過労だってさ」
「カロウ……?」
「働きすぎってヤツだ。どうやらアヤキのヤツ、ろくに寝てなかったらしい」
「じゃあ、寝たら治るのか?」
 キョトンとした顔をするハヤトにエリックは首を横に振る。
「寝るのは当たり前の事、今は点滴もしてるし、すぐに良くはなるだろうけど……少しアヤキさんには休んでもらわないとね。いくら気持ちで持たせようとしても身体は絶対に限界があるんだから」
 最年少クルーとはいえ、医者であるエリックの言葉が重く響く。
「けどやっぱ寝てれば治るんだろ? アヤキなんだから。アヤキがこれぐらいでくたばるわけない」
 そう言って歯を覗かせて笑うハヤトに、エリックやレンを含めた全員がハッとなった。
 いつでもそう、ハヤトは必ずアヤキを信じ、アヤキがやる事に間違いは無いし、アヤキがこれしきの事でどうにかなってしまうと微塵も思っていない。
 絶対の信頼。昔からの親友という年月によって作られた絆。
 それは他のクルー達がどれほど望んでも手に入れられないものだった。
 レンもアヤキとは古い中だが、ハヤトと比べるとそれは劣ってしまう。レンがアヤキと出会う前からハヤトとアヤキは親友だったのだ。
 レンだってアヤキがこれぐらいでどうにかなるような気性の持ち主じゃない事は分かっている。
 だがハヤトのこの鋼で出来たような信頼だけには勝てない。ハヤトのように純粋に人を信じるという事がどれほど難しくて、どれほど尊い事か。
 アヤキもそんなハヤトの信頼に応える様に、二人の仲は端から見ても良いとしか言えない。
 しかしそれは男女としての仲の良さというより、男同士の友情や兄弟のそれに近く、レンもハヤトよりは年下のエリックの方が注意すべき人物だと思っていた。もちろんこれもレンだけの秘密である。
「それにやっと封筒集めて持って来たのに、全部無効になったらたまんないしな」
 風呂敷に詰められた巨大な黒封筒の塊を背中から降ろして、嬉しそうにハヤトが言う。
「絶対あれハズレだね」
「ハヤト、そんなにどこにあったんだ」
 エリックの冷静な一言に苦笑するレンが聞くと、ハヤトはニッカリと笑って、
「食堂にあったぜ。テーブルの上に山があった」
「それを全部持って来たのか? それ」
 黒い塊を指差すレンにハヤトは首を横に振る。
「食堂以外にも……コックピットだろ、廊下にも点々と落ちてたし、道場にもあった」
「この短時間によくそんなに回れたな……」
 そう零したレンだが、すぐにハヤトの人間離れした脚力を思い出して頷いた。
「とにかく、アヤキさんには今だけでも休養してもらわないと。また急に倒れられたら困るし。だからほら、皆出て。病人以外医務室に来る必要は無いよ」
 ガチャガチャと機材を持ち出してきたエリックの手には極太の注射器と何に使うのかわからないドリルが握られている。
 出て行かなければそれなりの対応をするよ、と言っているようで、レンとハヤト、その他のクルー達も逃げ出すように医務室から急ぎ出た。
 静かに医務室の扉は閉まり、医務室から追い出されたクルー達はアヤキの様子を心配しつつも、あのエリックに任せておけば大丈夫だし、ハヤトの言葉通りアヤキがこれ以上悪化するようにも思えない。
 しかし帰還パーティーのゲーム中だったのが突然のお開きになって、どうも後ろ髪を引かれる。
 一番不満を感じていたのはハヤトで、風呂敷に包まれた黒い封筒を手にレンへ振り返った。
「これどうすりゃいいんだ? せっかく集めたのに」
「アヤキが起きたら出してみればいいんじゃないか? あいつの事だから開けてなければ無効にはしないだろ」
「んーじゃ、部屋に置いておくかぁ。パーティーはどうする? このままお開き?」
 その一言に、やっぱりもう祭りは終わりなのかと全員の顔が少し暗くなる。
 それを見たレンは顎に手を当てて何かを思案すると、しょうがないな、という風に笑った。
「料理は基地の方だしな、けど見たところもうそんなに無かったし……食堂で何か作ってもらうか。食堂の子達には悪いけど、俺から経費は出すからデザートとか軽いものを出してもらえるか? 今度いいものもあげるから」
 アヤキを心配するアヤキファンクラブの女の子のほとんどで構成された食堂班の女の子にレンが耳打ちするように告げる。
「いいもの、って何ですか?」
 女の子の内の何人かが食い入るようにレンの言葉を待ち、レンはニヤリと笑った。
「エリックのアルヴァントコスプレ写真」
 女の子達は全員大きく頷いて目を輝かせ、食堂へと走って行った。

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