早速エリックは自分のテリトリーである医務室へ向かい、その後をレンはついて行く。
 ハヤトは暴走気味た脚力で他の人間を蹴散らしながらシルフの中を走り回っている事だろう。
 ハヤトが体力ならレンは知力で何とかするしかない。本当ならメカニックで何とかしたい所だが、都合よく黒い封筒を探す探査機なんて短時間では造れない。
 だから普段メカニックだけに使っている頭を宝探しの為に使うしかないのだ。
 そしてその頭が最初に弾き出したのはあまりにも情報が少ないという事。アヤキの説明はあれで全部だが、まだまだ謎が多い。
 黒い封筒がシルフに隠されている事はアヤキの説明で全員わかっている。
 だがその封筒が一体どれだけの数があり、その内何枚がアタリなのかをアヤキは言わなかった。
 もしかしたらアタリは一枚しかないのかもしれないし、もっと多いのかもしれない。アタリがある事だけは確かだとアヤキが宣言していた限り、あまり数が多くない事は間違いない。そう宣言していなければ全員がアタリなんて無いんじゃないか、と不審に思う可能性がある……つまり、アタリの枚数が少ないからだ。
 となると、自然にハズレの数が多いという事になる。そしてあのアヤキの悪魔めいた笑顔からして――。
「どうしてついて来るわけ? レン班長」
「え? あ――」
 物思いにふけっていたところへ突然声をかけられ、急に現実に帰って来たレンはすぐに言葉に出来なかった。
 そんなレンを見てエリックは無表情のまま踵を返す。
「まぁ、考えてる事はわかるけどね。あの黒い封筒についての情報が無いから確実に隠しているとわかる僕の医務室に情報収集に行きたいんでしょ。シルフの中にどれだけの数を隠しているかわからないけど、アタリは少なく、ハズレは多く隠している事は当たり前。アヤキさんの性格からしてハズレには何かしらの仕掛けがある。そして僕の医務室にある封筒は恐らくハズレ……僕をわざわざ出してまでアヤキさんがアタリの封筒を医務室へ隠すわけないからね」
 レンは今まで考えていた事、そして恐らくこれから考えるはずだった事をエリックに言い当てられて唖然とする。
 しかしすぐにいつもの調子に戻り、頭の後ろで腕を組んだ。
「参りました。そう言えばお前はアヤキに勝るとも劣らない天才少年だもんな。俺如きが考える事はお見通しか……そう言えばお前はアヤキが特別に連れて来たクルーだもんな」
 ふと、昔の事を思い出したレンは自分の頭からその記憶を引き出しやすいように言葉にする。
 エリックが来た当初はシルフに専属の医者が出来たと、まだ駆け出しだった頃のクルー全員で喜んだものだ。
 それまではアヤキが医者の代わりをしていたのだが、他の仕事にも追われているアヤキは暇だっらいいものの、忙しい時には勝手に治療しろ、薬を飲んでれば治る、と大雑把な診察しかしなかった。
 さすがにアヤキもそれではクルーにいつか支障を来すとわかっていたのか、当時十二歳だったエリックをアヤキは一人でスカウトしに行き、シルフへエリックを連れて来たのである。
 それからはエリックが医療班としてシルフのクルーの診察をしているが、クルーの男子の大半はエリックによる謎の実験を受けた事があり、時折アヤキの診察の方が良かったというクルーも中にはいる。
 とにかく、アヤキがエリックをスカウトに選んだいきさつやその時の様子をアヤキは口にしないし、エリックも同じく誰にも話した事は無い。
 その時一体何があったのか、どんな話をしてエリックがシルフに来る事になったのかを本人達以外は誰も知らない。
 レンは今になって黒い雲に隠されたその事情が気になり始めていた。
「エリック、お前アヤキに何て言われてシルフに来る事にしたんだ?」
「どうしてそんな事をレン班長に話さなくちゃいけないのさ」
 レンの質問にエリックはすぐさま簡潔に答える。
 こう返って来る事はレンにもすぐに想像出来た。エリックはただでさえ自分の事を話すのは嫌いなのだ。話す事と言えば医療関係の事とか皮肉な事ばかりで素直に話が出来ない事ぐらいわかっている。
 だからと言ってアヤキに聞いても同じ様にはぐらかされるだけだろう。アヤキもどこかエリックだけは特別視している所があるから。
「何となく気になったんだよ。アヤキも話そうとはしないし、お前みたいな捻くれた奴をどうやってシルフに来るように仕向けたのかと思うと、ちょっとは興味が湧くさ」
「アヤキさんが話さないなら僕も話さないよ。別に気にしなくても結果として僕はここにいるんだからそれでいいんじゃない?」
 淡々とした口調と言葉でエリックは振り返らず、自分の医務室に向かって歩みを進めたままそう言った。
 こういう性格である事は前々からわかっている。わかっていた。だけどなぜか、自分の心にも暗雲が掛かった様な気分になる。
 気にしなくてもいいじゃないか、と自分に言い聞かせても、どうしても言うことを聞いてくれない。
 レンは自分より年下のエリックに本気で、少しだけだが怒りを覚えていた。
 ハヤトぐらいの理性しか持って居なかったら今頃殴りかかっていたかもしれない。意外に強い自分の理性に感謝する。
「ま、アヤキさんが好きなんだから気になるのは当たり前だと思うけどね」
 ――――――。
 ピタリ。レンの足が止まり、表情も止まる。もしかしたら心臓も止まったかもしれない。
 自分の後に続かない足音に気付いてエリックが振り返る。その顔は、ニヤリとした笑みのアヤキにそっくりだった。
「不意打ちには弱かったんだ、レン班長」
 クスッ、とエリックが笑みを漏らしたのを視点の合わない瞳で見ていたレンは猛加速で頭を働かせた。
「ち、ちちっ、違う! 俺はただ気になっただけだ!」
「アヤキさんの事が?」
「そういう意味じゃない!」
 完全にレンはエリックにやり込められ、誤魔化す所か余計に墓穴を掘るだけだ。
「安心しなよ、気付いてるのは僕ぐらいだからさ。シルフの人間って結構鈍感な人間多いよね。自分の気持ちにも気付いてない奴も多いし」
「お前、どうして――――」
 レンの言葉を聴かずにエリックはまた踵を返して、ようやく到着した自分の医務室への扉の前へ立つ。
 自動扉は静かに開き、主の帰りを喜んでいるようだ。
「馬鹿にしないでほしいよね。僕はシルフの医療班、アヤキさんが認める医者なんだから」
 口を金魚のようにパクパクさせるレンに最後まで勝利の笑みだったエリックは、遊び飽きたように自室へと戻っていった。
 完全な敗北、という言葉がレンの頭に重く圧し掛かる。医者に勝てる人間なんて、思いつくのはアヤキだけだ。
 今何とかしておかないと明日、いや今日中にアヤキに自分の気持ちの事がバレる可能性があるかもしれない。
 幸い今ここにいるのは二人だけ……今のうちに何とか……。
「って、くそ! よりによって何でこんなこ憎たらしいガキに俺の考える事が……! 絶対誰にもバレてないし、バレないようにしてたのに! よりによって、よりによって何で……!」
「レン班長五月蝿い。黒い封筒探すんでしょ? それに僕は誰にも言わないから心配しなくていいよ。まぁ、これからは僕の機嫌を損ねるような事を言うのはオススメしないけどね」
 普段笑みなど見せた事が無いエリックの黒い笑みを見て、レンは頭を抱えた。


 その後、微妙な上下関係になってしまったレンとエリックは帰った医務室で早速黒い封筒を見つけた。
「エリックをどかせたわりに、あったのは一つか。けど、ホントによく見つけたな」
 エリックが見つけた黒い封筒。それは普段エリックが使っているデスクにあるファイルの一つに挟み込まれていた。
「言ったでしょ。この部屋で何か動かしてたらすぐにわかるって」
「いや、それにしてもお前……あ、いや、いい。忘れてくれ」
 先ほど言われた言葉を思い出してついうっかり言いそうになる言葉をレンは大きく飲み込む。
 そんなレンにフン、と息をついたエリックは持っていた黒い封筒をレンに差し出した。
 急に差し出された黒封筒を目の前に、レンは怪訝な顔をする。
「あげるよ」
「アホか。これはハズレだろ」
「だ・か・ら。あげるよ」
 二度目の黒い笑みでエリックが更に前に黒封筒を出す。
 つまり、エリックはこの黒封筒、ハズレの黒封筒を持って行けとレンに言って……いや、脅しているのだ。
 その証拠にエリックは片手をポケットに突っ込んだまま、笑みを深くする。
「貰ってくれるよね? レン班長」
 命の危険、いや、それよりも自分の事をシルフ中にバラされるというリスクが大きすぎる以上、レンに断る術など無かった。
「わ、わかったよ!」
 観念したレンは半ば引ったくるようにエリックから黒封筒を受け取り、アヤキがいる会場まで引き返し始める。
 そしてその後を今度はエリックがついて行った。
「な、何で来るんだよ」
「だって気になるでしょ。アヤキさんがその封筒に何を入れたのか」
「お前の所に入れてるからなぁ、そこまでえげつないものでもないと思うが」
「けど僕は罰ゲームなんてしたくないしね。レン班長がいてくれて本当に助かったよ。面白いものも見れそうだしね」
 この時ばかりはシルフ三大権力者で一番常識があると影で言われるレンも自分より三つも年下の少年に本気で殺意を覚えたのだった。


「あれ、一番に戻ってきたのはレンとエリック? 妙な組み合わせだな、お前ら」
 戻ってきた二人、しかもあまりシルフでも見ない二人の組み合わせにアヤキはキョトンとした顔をした。
「てっきり一番に戻ってくるのは大量のハズレ抱えたハヤトだと思ってたんだけど。そっか、エリックもちゃんとゲームに参加してくれてたのか!」
 アヤキが嬉しそうに笑ってエリックの肩を叩いたが、エリックは小さく首を横に振る。
「参加、というより傍観だね。僕は見てるだけだから」
 その言葉にあからさまにアヤキは落胆して肩を落とし、残念な声を上げる。
 しかもそれに追い討ちをかけるように。
「というわけで、レン班長。出して」
「あ、ああ――――アヤキ、これ」
 逆らう事の出来ないレンは渋々黒封筒をアヤキに差し出す。
 益々二人に一体何があったのかわからないアヤキは首を傾げたが、レンの出した黒封筒を見て顔色を変えた。
「これってまさか……医務室に隠したやつ? なんでレンが!」
「ちょっと色々あってね。どうしてもレン班長が欲しいって言うからあげたんだ」
 エリックが優しい声でそう告げると、アヤキは段々と涙目になっていく。
 さっきよりもガックリと肩を落としたアヤキは大きく溜息をついてレンの封筒を手に取る。
「折角、せっかく見られると思ったのにぃ…………こんの――」
 封を切った封筒から出てきた紙に書かれていたのは。
【アルヴァントのコスプレをせよ】
『は?』
 声を漏らしたのはもちろんレンとエリックだ。
「こんの、馬鹿レンッ! せっかくエリックにアルのコスプレさせようと思ったのに! おかげでお前にコスプレさせなくちゃいけないじゃないか!」
「ちょっと待て! これが罰ゲームなのか?」
 アヤキに襟首を掴まれたレンが待ったをかけるが、アヤキはその手をブンブンと振り始める。
「くっっっっだらない。大体何なの、そのアルヴァントって」
「シャッ、イラ、ン、ザーの、キャ、キャラで」
 首を上下に揺らされたまま、レンが答えようとするが中々言葉にならない。
 やがてピタリと手を止めたアヤキはそのままレンを放り投げ、エリックに向き直る。
「やっぱりあの封筒、エリックが取ってきたってことで! エリックがやらなきゃ意味無いんだよ」
「い、嫌ですよ。何で僕がコスプレなんて」
 アヤキに詰め寄られたエリックはすぐに視線を伏せ、首を振る。
 そんな二人の様子を遠い世界から徐々に戻りつつあるレンは見ていた。
 シャイランザーに出てくるキャラクターにアルヴァントというキャラがいる。
 女性に人気ナンバーワンのこのキャラクターは金髪に碧眼、体型は小柄で性格は皮肉屋の生意気な美少年という、まさに乙女心をくすぐる要素が満載だ。
 このキャラクターの魅力は他にも沢山あるのだが、それは男であるレンにはわからない。
 しかし仮にも女の子であるアヤキは昔からこのアルヴァントというキャラクターの大ファンだった。
 なるほど、とレンは納得する。
 少し髪型が違うものの、よく見ればエリックはアルヴァントというキャラクターにそっくりなのだ。髪や眼、体型や性格まで考えれば考えるほど似すぎるほどに似すぎている。
「お願いエリック、ちょっとだけ! ちょっとだけでいいから、写真撮らせてくれたらもう二度と着なくてもいいから!」
「嫌だ、どうして僕がそんなっ――絶対に嫌ですからね!」
 涙目でアヤキにお願いされるエリックは徐々に顔を赤らめて、最後は小さな子供のように嫌だ、を繰り返す。
 それに負けじとアヤキもお願いを繰り返す。
 ああ、この二人……と、レンは遠くを見つめる眼でエリックがどうしてこのシルフに来たのか大体わかってきたような気がするのだった。
 暫くの間、嫌だ、お願い、が繰り返されて、茹蛸のように顔を真っ赤にさせたエリックがついに折れた。
「い、一枚…………だけなら」
「本当っ? 絶対かっ、約束だからな! 後で無し、なんて絶対ダメだからな!」
「わかってるよ! 約束は、守りますよ」
 やはりエリックもアヤキに敵う事は無いらしい。シルフの中でアヤキより強い奴なんていやしないな、と改めてレンは痛感したのだった。
「よかったな、アヤキ」
「うん! やったー…………」
 ――笑顔でアヤキがガッツポーズを取ろうとした瞬間だった。
 フッ、と糸が切れてしまった人形のようにアヤキの身体が床に崩れていく。その咄嗟の出来事は二人にゆっくりとしたスローモーションで脳に焼きついた。
 まるで暗い海の底へ沈んでいく海草のように、アヤキは二人の目の前へ落ちていく。
「アヤキ!」
「アヤキさんっ!」
 同時に二人が両手を差し出し、アヤキは床に崩れ落ちる寸前で二人の腕に支えられた。
 ぐったりとしたアヤキの身体は二人の腕に沈み込む。
「どうしたんだよ、アヤキ! アヤキッ!」
「レン班長、五月蝿い。ちょっと黙って」
 取り乱してアヤキを揺さぶるレンとは違い、医者であるエリックはすぐにアヤキの身体を診察する。
 大き目のポケットから聴診器を取り出し、アヤキの服の下へエリックは戸惑う事も無く手を入れる。
「お、お前!」
「黙ってってば!」
 いつもより真剣なエリックの眼差しに、レンは押し黙った。
 これだけエリックが真剣になるのは医療の事、それも緊急を要する場合だからなのだと直感したからだ。
 アヤキの身体を調べるエリックはやがて小さく息を吐いて顔を上げる。
「医務室に運んで。僕は先に行って準備しとくから」
 そう言って、さっさとエリックはシルフの中に戻ってしまった。
 一体アヤキに何があったのか、レンはエリックに問いただそうとしたが、それよりもやはり言われた通り早くアヤキを医務室へ運ぶ事にする。
 準備が必要と言う事は、アヤキによほどの事があったんだろう。治療を速やかに行う為にエリックは先に医務室へ帰った、なら自分が質問した事にエリックが答えるわけがない。
 両手でアヤキの身体を抱え上げたレンは急ぎ足でシルフの医務室へ向かった。
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