地下へ向かったエレベーターは決意を新たにした勇者達をダンジョンの最奥へと招き入れる。
 ゆっくりと魔王のいる部屋への口を開いたエレベーターから四人は歩み出た。
 暗い部屋、地響きの音が聞こえる闇の中で赤い光を帯びた円柱の柱が部屋を薄く照らしている。
「本当に、こんな……」
 円柱の中の人間達を見て、エリックが眼を見開く。
 辺りを見渡したアヤキはすぐにその人物を見つけた。
 白い軍服に身を包んだ、地球軍最高司令官クビキ。そしてその傍らには髪の長い少女が一人、全身から水を滴らせて立っている。
 ゆっくりと振り返った少女は、アヤキと同じ顔をしていた。
「アヤキ……じゃ、ないんだよな?」
 ハヤトが思わず聞き返してこちら側にいるアヤキと見比べてしまうほど、髪の長い少女はアヤキにそっくりだった。
 濡れた長い髪を身体に張り付かせたアヤキそっくりの少女は何も身に纏っておらず、髪だけで自分の身体を隠している。その姿は絵画に描かれたヴィーナスというより、森林の奥で発見された狼少女のようだ。なぜそう見えるのかは謎だが。
 思わず三人はこっち側のアヤキを下から上へと眺めてしまう。
「ちょっ、見るなバカ! お前ら眼を閉じてろ! 向こうのオレも絶対見るな!」
「そんな無茶な……」
 存在として同じクローンという事は、自分が裸でなくても、向こうが裸なら一緒だ。
 アヤキは全員に眼を閉じるように言って、中々従わないレンとハヤトにはデコピンをお見舞いして言う事を聞かせた。
 その様子を見ていたクビキが喉の奥で笑う。
「良い出来でしょう? 最も、この子は外見だけは良く出来たがどうやら失敗らしくてね。脳細胞も異常は無いはずなのに言葉を喋らない。感情表現が乏しいのは生まれたてのクローンとしてはよくあることですが……まぁ、忠実さだけはしっかり出来てますけど」
 クローンのアヤキにクビキが口を近づける。
耳元に何かを囁かれたクローンアヤキはゆっくりとアヤキ達の前に進み出た。歩調のゆっくりとした歩みがどんどん走り出すそれになる。
「なっ……!」
 長い髪を振り乱し、クローンアヤキは真っ直ぐアヤキに向かって跳び蹴りをせんと跳躍する。それを何とかかわしたアヤキは表情の無い自分からの連続攻撃を防ぐ事しか出来ない。
 人間同士がぶつかる音に、さすがに他の三人も眼を開く。
 だがそこには、ほとんど裸体で戦うクローンアヤキの姿があり……。
「見るなっつってんだろバカ共! あーもうっ、こっちはいいから、そっちの軍人野郎をとっちめろ! 絶対こっち見るなよ! 見たらコロス!」
 アヤキの言葉に三人は静かに頷いて眼を開いた。
 助けようとした人間に殺されてはシャレにならないと、三人は言われたとおり、目の前の男クビキへと向かう。
 大きな地響きが暗い部屋の中に充満した。
「サイガ・アヤキに従うシルフのクルー達ですか。もっと情報を集めるべきでしたね。彼女ばかりにとらわれて貴方達のような人間の事を調べるのを怠りました。それがこの結果ですね。どうせ今の軍のユニットでは君達のユニットには敵わないでしょう。子供に大人が負けてしまうというのは癪ですけど、認めざるをえません。ですが……」
 ゆらりと動いたクビキの姿が二つに増える。
 同じ顔、同じ姿、同じ表情。
「まさか、こいつもクローン?」
「すでに自分のクローンを造っていたのか」
 二人のクビキが口を開く。
『クローンを造るための施設はとてもデリケートなんですよ。その為に海に研究施設を造ったが……貴方達が上でユニットを暴れさせるからこの通り。既に百近くあった装置の内の半分以上が壊れてしまっています』
 口元を歪めて笑っていた二人のクビキがその笑みを消す。
『さすがに頭にきているんだよ……お前らのようなガキに私の夢を邪魔されたというのがな!』
 人が変わったかのような怒号、そして鬼のような表情になった二人のクビキはそれぞれに走り出す。
 一人はハヤトへ、一人はレンへと走り、長い軍服を身に纏っているのにも関わらず、風の抵抗など全く感じさせない攻撃を繰り出した。
 突き出された拳をハヤトは避けられたが、体術なんて全くやったことのないレンは避けるまでには至らない。完璧に叩き込まれたオリジナルかクローンかわからないクビキの攻撃にレンは倒れ込んだ。
「レン班長!」
 すぐさまエリックが反応し、クビキにメスを投げ付ける。
 飛んでくるメスを怒りで充血した眼で見たクビキは避けもせず、自分の腕を盾にして止めた。ザクリと突き刺さったメスを無造作に引き抜いたクビキの腕からは白い液体が流れる。
「こっちがクローンか……!」
「その通り。外見をどうにか似せてもまだまだ中身までは追いつかなくてね。血液の変色までにはまだ時間が掛かるんだよ。あと十時間もすれば私はオリジナルと全く同一になる。姿形、声、思考! 有能な私という存在は殖え、オリジナルに尽くす。それが私の存在意義だ」
 バカな、と毒づいてエリックは倒れているレンへと走り寄る。レンは痛みに動けないだけで、大した事はなかった。
 ちらりとハヤトを見ると、驚く事にハヤトとクビキは互角な戦いを繰り広げている。それにどちらかというとハヤトが押しているように見えた。
「難しい事ばっか言ってんじゃねぇぞ! 俺はアヤキがこっちに帰ってくればお前なんかどうでもいいんだ!」
「では私の邪魔をしないでもらおうか!」
「俺はどうでもいいけど、アヤキがお前を許せないって言ってる! だから俺はお前を許せない! それに、あのアヤキ……あんなアヤキを造ったお前はやっぱ許せない!」
 あのアヤキからは何も感じられなかった。同じアヤキであるはずなのに、やっぱり外見だけだとすぐわかった。
 いくら同じ存在でも、アヤキはアヤキしかいない。
 ハヤトは難しい事がわからないだけに、本能でそれをわかっていた。
「チッ、小賢しい……! おい、戻れ!」
 オリジナルの方のクビキがそう叫ぶと、激しい死闘……ハヤトでさえも入る気すら起きないような戦いをしていたアヤキ達のクローンの方がピタリと動きを止め、クビキの下へと戻る。そのままハヤトへと蹴りを繰り出したクローンアヤキは見事にハヤトを吹っ飛ばした。


 アヤキは自分とそっくり同じ外見の少女と対峙していた。
 まるで鏡を見ているよう。顔の造りだけは全く同じの自分が無表情に自分を見ながら攻撃を繰り返している。
 だがそれが自分なだけに、アヤキは攻撃の流れや身体の動かし方、重心の取り方などが手に取るようにわかり、隙を突いてクローンの自分の腕を取って膠着状態に持ち込んだ。
 髪の長さ、表情の無さ以外は本当に自分と寸分違わぬ姿を間近で見て、これがクローンという存在かと改めて思ってしまった。
 それに無表情な自分のこの姿をアヤキはどこかで見たなと感じた。デジャビュのような、懐かしさを感じる。
 目の前にいるのは自分と寸分違わぬ姿の自分なので見た事があるという感覚は当たり前なのだが、こんな無表情な顔の自分だったのはあの時だけだ。
 無表情だったクローンアヤキの口が薄く開く。
「あなたが、オリジナル、の、ワタシ……」
 途切れ途切れに喋る鏡のアヤキは声さえもアヤキそのものだった。
 だが自分は自分だけだと、ややこしくなる頭を振って、アヤキは鏡を見た。
「ああ、オレがお前の元。オリジナルだよ」
「そう。ワタシ、クローンね。わかる。あなたがとても頭が良いから、ワタシもわかる。けど、わからない。どうして、ワタシは……」
 鏡のアヤキが無表情な顔だったはずの眉を顰める。
 何かに苛立っているように、翳った瞳がアヤキを睨んだ。
「わかるの、でもわからない。ワタシはクローン。オリジナルをトレースした、オリジナルと同じ存在。もう一人のあなた。でもワタシはオリジナルじゃない。ワタシには、足りないものがある……でも、わからない!」
 膠着状態にしていたアヤキの腕を解き、鏡のアヤキが叫ぶような声を上げながら頭を抱える。そして、苛立ちをぶつけるようにめちゃくちゃに攻撃を繰り出し始めた。
「わっ、ちょちょっ! 待て!」
 自分と同じ動きをしている相手のはずなのに、攻撃パターンの読めないそれにアヤキは避けるのが精一杯になってしまう。
 激しい動きに二人とも汗びっしょりになりながら、それでも戦いは続いた。
 しかし突然の声にそれは止まってしまう。
「…………おい、戻れ!」
 ビクン、と身体を跳ねさせた鏡のアヤキはアヤキを鋭く睨みつけながら高く跳躍し、クビキの方へと戻っていく。そのままハヤトへと蹴りを繰り出したクローンアヤキは見事にハヤトを吹っ飛ばした


「痛っ……つつ、蹴りまで同じかよ」
「大丈夫かハヤト! レンも!」
 戻ってきた本物のアヤキは汗だくになっていたが、ダメージを受けるような事は無かったらしい。
「さすがにオレ相手だと手加減する余裕もねぇわ。やっぱオレは強いな」
 真面目に言うアヤキにもはや三人はツッコミを入れる余裕も無い。
 こちらにはダメージを負ったレンとハヤト、それにアヤキとエリック。
 向こう側には激しくこちらを睨みつけるクビキが二人とクローンアヤキ。
 数ではアヤキ達が勝っているが戦力的に考えると不利に思えた。
 だがクビキ達は徐々に後ろへと下がり、そのままアヤキ達には背を向けて走り出したのだ。
「なっ、待て!」
 アヤキは急いで追おうとしたが、クローンクビキが振り返り、壁に備え付けられていたボタンを押す。すると途端に部屋が赤いテールランプの光で覆われ、警鐘が鳴り響く。
「まさか、この展開にありがちの……!」
「この研究所を放棄します。どうせここはもう使い物にならないですからね」
 爆発音が響き、部屋の中に粉塵が舞い上がる。だがすぐに粉塵は収まり、壁から勢い良く水が噴き出した。
 その光景に眼を奪われている間に、本物のクビキとクローンアヤキはアヤキ達が乗ってきた方とは逆側にあるエレベーターへと乗り込み、意味深な笑顔を残して扉は閉まってしまった。
「くっそぉお! 逃げられたぁ!」
 歯軋りをして地団太を踏むアヤキは腹の底から叫ぶ。
「絶対に見つけ出してオレに土下座三万回やらせてやる! オレの顔を思い出しただけでチビりそうになるぐらいにメッタメタにしてやるからなぁ!」
 どこかのガキ大将が言うような言葉を叫んで、アヤキはクローンクビキを睨む。
「その前にまずはお前だ!」
「出来るなら、やってみるがいい」
 そう言ってクローンクビキも、まるで隠すようにあった壁のボタンを押し、その中のエレベーターへと乗り込む。
「まずは地表の邪魔なユニットからだ」
 そう言葉を残してクローンクビキは消えた。
「ちっくしょぉ! ハヤト、レン! 立て、すぐに上に戻るぞ!」
 怒りに叫ぶアヤキはパシャパシャと床を満たし始めている水を蹴りながら自分達が乗ってきたエレベーターへと向かう。
「あ、何で水が……?」
「ここは地下だよ? 海の上に浮いてる基地なんだから地下になれば当然海の下って事になる。これは海水だよ。それより、手を貸してよ……レン班長重い」
「ったく。レンも情けない。シルフに戻ったら体術とまではいかないが、せめて防御ぐらいできるように特訓してやるか」
「…………頼む、それだけは、勘弁してくれ」
 青い顔をしながらゼェゼェと息をするレンはさっきのクビキの攻撃より攻撃力のあるアヤキの攻撃が来るのを想像して脱力する。元々力の弱いエリックが圧し潰されそうになったが、その前にハヤトが手を貸した。
「本格的にここヤバそうだな、とっととシルフに戻ろうぜ」
 ハヤトにしては冷静な一言に、全員が危機感を取り戻してエレベーターへと向かった。
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