空へと舞い上がった揚陸船はどこかへ向かって走行し、やがてついた場所にアヤキは息を飲んだ。靡く旗や建物に記されているロゴマーク、それはアヤキも良く知っているものだった。
「地球軍の基地……、軍だったのか……」
 自分を攫った男達の正体が軍人であった事がわかり、アヤキは険しい表情になる。
 空から見る軍の基地はやはり装備の整ったもので、ユニットの数も数え切れない。飛び立って行く戦闘機は訓練された軍人が乗っているのだろう。動き方に無駄が無い。
 地球軍日本基地、周りを海に囲まれたこの基地は鉄の孤島となっていた。
 揚陸船は静かに基地へと降り、アヤキは軍の基地の中でも特に立派な建物へ連行される。
 アヤキもここまで来れば抵抗はしなかった。大人しく男達について行き、ある部屋へと入る。
 広く豪華な部屋で、開け放された窓からは基地を眺める事が出来る。その窓を背にして立っている一人の男がアヤキが来たのを見て笑みを浮かべた。
「やぁ、よく来てくれたね。――サイガ・アヤキさん」
 狐めいたその笑顔にアヤキは冷静な態度だった。
「……地球軍がオレに何の用ですか」
 冷静、だがアヤキの眼に青い炎が燃え立っているのを男は気付いていた。
「ああ、その前に自己紹介しよう。私は地球軍総司令のクビキだ。手荒な事をしてすまなかったね」
 クビキは笑みを絶やさず、窓の前にあった重厚なデスクにつく。
「あんたが誰とかどうでもいいんだ。一体オレに何の用なのか、それだけ答えてくれ」
「貴様っ、総司令に何と言う口を……!」
 アヤキをつれてきた男がアヤキの肩を乱暴に掴む。
 しかしクビキが手で制し、男は渋々アヤキの肩を放した。
「地球軍、そして月軍、火星はそれほどでもないが、君のシルフは軍に甚大な被害をもたらしている。君達にとってはそれほどの問題には思えないだろうが、我々軍は遊びでやっているのではないんだよ。そして、君達は子供にしては大人を越えるほどの力を持っている。軍としてそれは見過ごす事が出来ない」
「甚大な被害、それは物資の事ですか? 物資を貰えるだけの働きはしているはずです。それに軍から貰った物資は燃料と医療品と食料。緊急時の民間船に渡す物と同じものです。軍の兵器や弾薬を盗んだならまだしも、それだけで甚大な被害とは思えませんが? ――正直に言ったらどうなんだ。オレ達が邪魔で、オレ達のシルフを横取りしたいんだ、って」
 クビキの笑みに影が落ちる。
 それと同時に空の太陽も雲に隠れてしまったらしく、一気に部屋の中に光が無くなった。 
「さすが天才少女、あの戦艦を創っただけはある。しかし、それならなぜあの戦艦を創ったのかな。君ほどの頭脳があるなら力を持てばどうなるかぐらいわかっただろう」
 ――わかっていた。いつかこんな日が来るかもしれないことを。
 自分達が創ったシルフが軍を上回るほどの戦艦である事も、その戦艦を持つ事で軍がどういう行動に出るのかも。周りの皆を巻き込んで危険な目にあうかもしれないことも。
 それでも、それでも……。
「オレには夢があるから。だからシルフが必要なんだ。もう軍の船には一切手を出さない事を約束します。不安なら誓約書も書きますよ。だからシルフにも手を出さないでください。オレ達は戦争したいわけじゃない。どこの脅威にもなりません」
「そうですか、夢、ね。――でも貴方を帰すわけにはいかないんですよ」
「そんなにシルフが欲しいのか? オレ達はどこにも属さない。それは公表しただろ! 子供から物を取り上げるのか、軍は」
 侮蔑を込めたアヤキの言葉にクビキが嫌な笑みを浮かべて椅子から立つ。
「確かにあの戦艦は欲しいものではあります。子供が創ったとは思えないほどの代物です。あれが軍にあればこれからの戦力は段違いのものになります。ですが、我々があの艦を収容、分析、そして自らのものとして再構築するには時間が掛かり過ぎます」
 クビキの言葉にそれまで冷静な態度だったアヤキが驚愕の表情になる。
「まさか――」
「そう、だから貴方にここに来ていただいたんですよ。貴方に軍に入ってもらう為にね」
 これはただの勧誘ではない。徴集命令、否とは認めない一方的な勧誘。
 シルフが奪われる事は想定した事があっても、まさか自分が軍に取り込まれるとは思わなかった。
「今から貴方には軍の研究員になってもらい、軍の為に兵器開発、および軍艦の設計をしてもらいます」
「ちょっと待て! オレは嫌だ! 軍人になんかなりたくない!」
 軍基地に来てから初めて見せるアヤキの焦りにクビキが笑いかける。
「どうしてですか。戦艦に乗ると言う事は少なからず戦う意志があるんでしょう? ましてや貴方は戦艦、そしてユニットの設計も行っている。そして貴方はそれを夢の為だと言った。貴方は戦いたいから兵器を作ったんではないんですか」
「違う!」
 クビキの言葉に間髪入れずアヤキが叫んだ。
「兵器を作った。兵器が一体何の為に使われるのか、こんなの誰にだってわかります。例え天才でなくとも。戦艦もユニットも、戦う為に――」
「違う、違う……っ! オレは、オレはヒーローになりたいから、ヒーローになるのが夢だからシルフを創ったんだ!」
 でも、それはクビキの言っている事も確かに含まれている。
 夢はヒーローみたいにカッコ良く戦ってみたい……どんな理由にしろ戦いたい意志があるのは本当だ。
 否、クビキが言う事が確かなのだ。
 戦いに真も偽も無い。理由や環境の違いはあれど、戦いそのものに違いなんてないのだ。
 そしてヒーローとして戦いたいアヤキはその願いを叶える為にシルフを創り、ユニットを創り、戦う為の力を手に入れた。
 それはクビキが言っている通りの事ではないか。戦いたい、だから、力が欲しかった。
 自分の足元の地面以外が崩れて足元以外が奈落の底になっていくような錯覚に襲われながら、それでも、とアヤキは思った。
 確かにただ戦いたいだけなら軍に入るのが一番効率がいいだろう。アヤキの頭脳なら軍でもすぐに上官クラスになって活躍出来るだろうし、いざ戦いが始まれば前線に立つ事もできるだろう。
 だが、アヤキはそれに魅力を感じない。
 そしてどうしても、軍に好感が持てないのだ。なにより、軍に入れという話をされてから嫌な予感が全身を嘗め回すように這い続けていて、入れば必ず良くない事がある、とアヤキは確信していた。
「軍人だってヒーローになれますよ。どうして軍は嫌なんですか?」
「大体軍人ってのは裏で変な事考えてるからだよ。アニメの鉄則だ」
「おや、それは偏見ですよ? 軍人が主人公のアニメだってあるでしょう」
「それでも結局軍に裏切れるパターンが多いぜ? 何と言われたってオレは絶対に軍人になんかならない! 胡散臭いオジサン達と一緒になんて居たくないからな!」
 ふむ、とクビキが溜息をつく。
「そうですか。……なら仕方ありませんね。まぁ、貴方の性格上そう言うとは思っていたんですよ」
「――?」
 椅子から立ち上がったクビキが笑みのままアヤキの前へと歩いてくる。
 ゆっくりと持ち上げたクビキの腕が、アヤキの顎を掴んだ。
「容姿、頭脳……貴方は極上の素体です。別に貴方が軍に入らないと言っても、もうこの基地へ貴方が来た時点で貴方の運命は決まっています。それでも貴方が自ら望んで軍に入れば、それなりに優遇しようとは思っていたんですよ? 素体としてもそれなりの自由を、とね」
 アヤキはクビキの腕を引き剥がせなかった。
 クビキの瞳があまりに恐ろしい光を帯び、アヤキの瞳を見据えて放さなかったからだ。
 金縛りにあったように自分の指すらも動かせない。
 今まで味わった事の無い恐怖にアヤキは急激な喉の渇きを覚えた。
「どうしました……? 先程までの元気がありませんよ」
 クビキの声が暗闇から誘うかのように響く。
 なぜ自分はこんなにも怖がっている? この男の一体何がこんなに怖いのか。
「ああ、時間がありませんね。早くしないと彼等が悲鳴を上げる。では、行きましょうか……アヤキさん、貴方の牢屋へ」


 先頭を歩く軍の男が行く道を、アヤキとクビキは並んで歩いた。
 やがてエレベーターに乗り、アヤキは狭い箱の中が地下へと向かっているのだけは何とかわかる。だが、一体地下に何があるというのか。
 クビキは牢屋へ連れて行くと言った。確かに牢屋は何かと暗い地下に配置されている事が多い。
 しかしその前にクビキが言っていた事がアヤキにはわからなかった。
 極上の素体――?
「さぁ、着きましたよ。――素体が届きました。すぐにコピーに掛かってください」
「…………これ、は……」
 アヤキの瞳はこれ以上内ぐらいに見開かれ、部屋の中にある光景を必死に脳へと届ける。
 円筒形の柱に浮いている人間の身体、部屋の隅に置かれている機材や、多くの白衣を着た人間達。
 驚愕しながらも、アヤキはこの光景、そしてクビキの言葉がやっと一つの答えに繋がり、それでも否、と首を振った。
「嘘だ、だって……人間の遺伝子に関する研究は――!」
「十年前に全世界において廃止された……本来なら」
 小さく身を竦ませたアヤキは再度、横のクビキを見上げた。
 その顔は愉悦に哂っている。
「十年前、人間はあれほど渇望していた遺伝子技術を捨てました。たかが一部の人間による自己の尊重、絶対的な存在を穢してはならないなどという、くだらない言葉で」
「だけどそれは世界、いや! 月や火星でも一致で下された事だ。クローン技術や遺伝子技術はその危険性を認められ、技術も研究施設も廃棄された……まして、研究を再開しようものなら、それは宇宙における大罪だ!――それを、軍が――」
 宇宙を守り、秩序を重んじるのが軍であるはずなのに、世界が認めた禁忌を軍自らが破っている。アヤキはそれが信じられなかったが、目の前の光景を見る限り、これはどう見ても人間を使った研究だ。
 それに目の前にある円筒形の柱には少女が……翼の生えた少女が収められている。
 作り物ではない、本物の人間の身体と鳥の翼。
 あきらかに身体を無理矢理混ぜ合わせ、新しい生き物として造られたのが解る。
「十年という時は長かったですよ。政府によって研究施設や資料はもちろん、研究員までもが口を封じられた。それでも抹消された欠片を集めてやっとここまでの施設にする事が出来たんです。とは言っても三時間でやっと一体完成という……まだまだ生産力は無いですけどね」
 クスクスと哂うクビキを見て、アヤキは身体が震えた。
 そういえば、この男は何と言っていた?
 極上の素体、コピー、生産力……。
 アヤキは己の身体を抱いて、ワナワナと震える唇を開く。
「まさか、オレを……?」
 クビキの哂いは止まらない。
 アヤキはやっと、この男に感じていた恐怖を掴み始めていた。
 クビキは最初からアヤキをこうする為に呼んだのだ。商品として、クローンを造る為に。
 眼差しに感じていた冷たさは、人間としてではなく、物として見られていたからなのだとようやく解った。
 先頭を歩いてこの部屋までつれて来た男が、いつの間にかアヤキの背後に回り、アヤキは腕を拘束される。
「――っ!」
 台の上に組み伏せられ、そこに白衣を着た人間が何人もやって来てそれぞれ暴れだそうとするアヤキの身体を押さえつける。
「貴方は極上の素体ですよ。商品としての価値も申し分無い。貴方という人間を見つけた時は興奮しましたよ。これこそ、商品に出来る人間だと。貴方は自分の価値をわかっていない。貴方という人間は今の世界に、必要なんです。大丈夫、殺しはしません。貴方にはこれから素体として遺伝子を提供する為だけに生きてもらいます」
 アヤキも十年前に人間の遺伝子研究が廃止されたのは知っていたし、好奇心からその研究について調べた事もある。
 研究に使うのは主に血液だが、クローン一体を造る為の血液量は研究精度が上がらない為に大量に用意しなければいけなかった。それに初回の遺伝子情報を調べる為だけでも血液やその人間の骨格など様々な事を調べなければいけないのだ。
 それこそ、身体を弄繰り回されるという言葉が適切な表現だった。
 血液に細胞組織……クローンという言葉は全くオリジナルと同一でなければいけない。ただ表面上だけが似ていても、それは他人の空似や一卵性双生児などの似ているが全く別の人間という判断がされるからだ。
 外見、脳、声、存在として同一でなければクローンとは呼べない。
 だがそのクローンを造る為にはオリジナルである方も研究しなければいけないということになる。研究の為にという名目で暴走し始めていた遺伝子研究はそういった面からも廃止に追い込まれたのだ。
 そういった事実もアヤキは知っていたので、気が狂ったように暴れた。
 ――冗談じゃない! 遺伝子研究の材料だとっ? ふざけるなっ!
 頭の中では怒りによる口汚い言葉が並んでいたが、それはアヤキの必死の繕いだった。
 それ以上に、アヤキは恐怖でおかしくなりそうだった。
 そんな恐怖を認めたくないアヤキは自らを奮い立たせる為にほとんど無意識に怒りに変えていたのだ。
「天才少女が商品として市場に並ぶのも近いですね。顧客は大喜びで大金を出すでしょう。さぁ、始めてください――」
 その言葉を待っていたとばかりに白衣の研究員の一人が液体で満たされた注射器をアヤキの腕に押し当てる。
「いや……やめろっ、やめろぉっ!」
 誰か、助けて――――、ハヤト……レン――!
 注射器の透明な液体がピストンによって押し出された。
BACK NEXT