この日も晴天。晴れ渡った空に海は輝き、山は夏に向けて青さを増している。
海に入るにはまだ早いが、アヤキは波打ち際で海を眺め、手を海につけて水の感触を楽しんでいた。
「もう……二年、か」
シルフに乗り、宇宙を目指して航海に出てから約二年。
一年間は試運転やデータ収集を兼ねて地球から月までを何度か往復し、宇宙への旅が軌道に乗ってからようやく火星まで行けるようになった。今では少しくらい無茶をしても大丈夫だし、ユニットの装備も手堅くなってきた。
クルーも増えたし、皆で宇宙に出るのが楽しくてしょうがない。
「やっとここまでか……。でも、早い方か。一人だったらこんなに早く出来なかった」
ふと思い出すのは幼馴染みのハヤトとレン。シルフを創ると決めたアヤキの傍には常に二人がいた。
家が近所だった事もあり、同じ小学校だった三人が出会うのは確率が高いものの、とても貴重な出逢いだった。
――そしてアヤキとハヤトとレンは大人でも手に負えないと街でも有名な悪ガキ三人組になる。
三人が中学に上り、ゲームで人気を博したシャイランザーがアニメで放映されるようになった頃、アヤキは二人にある計画を打ち明けた。
「オレ達で宇宙に出ないか?」
もう見知った仲である二人はアヤキの部屋で突然切り出され、驚いて口をへの字に曲げる。
貴重な女の子の部屋であっても、幼い頃から付き合っている同じ悪ガキ。
それに女の子の部屋にしてはベッドと本棚、そしてパソコンしかないあまりに殺風景な部屋だったので色めき立つ事もなく、二人は黙々とポテトチップスを齧っていた。
「宇宙って……宇宙旅行か?」
ハヤトが疑問符を浮かべて次のポテトチップスに手を出すが、アヤキにきついチョップを見舞われる。
「旅行じゃない! オレ達の船で、宇宙に冒険に出るんだ!」
それまでに見た事のないアヤキの眼の輝きに二人は言葉に詰まってしまう。辛うじて咳払いをしたレンが口を開いた。
「アヤキ、お前もわかってるだろうが……船たってどうするんだ。宇宙に出る船ってのは規模が全部違う。俺達みたいな子供が宇宙に出れるわけないだろ」
宇宙に出ようと思えば民間の宇宙旅行であれば子供でも行く事が出来る。パスポートさえ持っていればあとは金銭の問題だ。だが格安で宇宙に行けるといってもやはり子供には到底用意出来ないほどの大金だった。
それに機械に強いレンは船を作る為の金額など頭が痛くなるほど掛かる事がわかっている。
レンが何を言い出すんだ、と呆れ顔でそう言ったのだが、アヤキの眼の光は消えていない。
「でも、オレは宇宙に出たい。オレのずっと前からの夢。オレはオレの船で、宇宙に出たかった。シャイランザーみたいに宇宙に出て、宇宙怪物と戦う! それがオレの夢なんだ!」
椅子から立ち上がり、拳を振り上げるアヤキの眼は本気だ。
二人ともアヤキがこんな事を言い出すとは思わず、そしてそのとんでもない夢に驚いて再度言葉に詰まる。
「オレは絶対この夢を叶える! 宇宙怪物が出てくるかはわかんないけど、それでもオレは宇宙に出る! カッコ良く必殺技の名前を言いながら冒険出来るところが地球には無い、なら広い宇宙に出るまでだ。宇宙のどこかに絶対ある! オレがシャイランザーになれるところが!」
頬を紅潮させたアヤキはそう言って自分が憧れのシャイランザーのように戦っているところを想像する。
ハヤトもレンもアヤキに毒されてシャイランザーのマニアになっていたのでアヤキがシャイランザーになっているところを想像出来たが、笑いに噴き出してしまった。
……しかし二人ともアヤキと同じ事を考えたことがあるのだ。
好きなヒーローになりたい。自分も地球を守るという使命を負って悪と戦ってみたい。
――だがそんな運命には絶対ならない。
今の宇宙は安全だし、もし悪人が出てきたとしてもそれは警察か、軍に任せる事であって、子供である自分達にヒーローになれる場面が来る事はこれからの長い人生でもあるはずがない。中学生になって嫌でも世界の仕組みを理解していた彼等には、それが痛いほどわかっていた。
だがアヤキは違う。この眼は本気だ。本気でヒーローになりたいと子供のような事を言っている。普段お姉さん気質で頭の良いアヤキがこんな子供みたいな夢を本気で語っている。それが噴き出す原因だった。
自分の夢を笑われたアヤキは眉間にシワを寄せて二人を睨んだが、すぐに意味深な笑みになる。
まさか半殺しにするつもりでは、と二人は壁際へ寄ったが、アヤキは笑みを浮かべたまま二人に近寄る。そして本棚を弄り始めた。
カチッ……。
何かのスイッチを押す音がし、途端に部屋の壁の一部がスライドして、そこに扉が現れた。
「なっ、何だ!」
驚く二人にますますアヤキの笑みが深まっていく。
扉についているボタンを押すと、扉が開いた。どうやらエレベーターらしい。
「オレは夢を叶えたい。でもオレだけじゃ時間が掛かりそうだし、ハヤトとレンの力を借りたいんだ。なぁ、オレと一緒に宇宙に行かないか? 三人でさ……別に、嫌ならいいよ。オレは一人でも宇宙に行くから」
エレベーターに乗り、アヤキはそう言って二人がエレベーターに乗るか否かを待つ。
それは決別も覚悟したアヤキの賭けだった。
アヤキの瞳は固い意志が見え、その意志の為に自分の何かを捨てる事を厭わないという覚悟もある。
もし二人がアヤキの夢を笑ってエレベーターに乗らないなら、もうこの話はしないし、二人とは距離を置く。そこまで考えていた。
それだけアヤキはこの夢を真剣に考えていたのだ。
夢の為にアヤキはこれまで生きてきた。それは紛れも無い真実だ。こんな自分より遥かに幼い子供が持つような夢の為に、アヤキはこれまでを必死に生きてきた。
人に何と言われようと、どれだけの苦労が掛かろうと、夢の実現の為に。
――夢を持つ事さえ知らなかった少女が初めて魅た夢だけに。
「危険な事は沢山ある。もしかしたら命に関わる時もある。それでも、オレは……お前達が来て、くれたら……楽しいと思うんだ」
顔は見てすぐにわかるぐらいに赤くなり、どんどん声は小さくなる。
人にお願いなどあまりした事が無かったアヤキの精一杯の誘いだった。
突然現れたエレベーターに二人は顔を見合わせて暫く呆然としていたが、次には鼻息を荒くし、興奮した様子で我先にとばかりにエレベーターに乗り込む。
「お、お前らっ……!」
二人がこんなに簡単に乗り込んでくるとはアヤキも思わなかった。しかも二人はアヤキを見て眼を輝かせている。
「水臭いじゃねぇかアヤキ! シャイランザーになら俺もなりたいぞ!」
「エレベーターは地下に行くのか。地下に何があるんだアヤキ! 俺達にも見せろ! 宇宙にだってついて行くさ。俺達三人で悪ガキ三人衆なんだからよ。な、ハヤト」
「おう! だけどな、アヤキ。一つ条件がある」
ハヤトが人差し指を立て、今度はアヤキが首を捻る。続くようにレンも人差し指を立てた。
「やるからには徹底的にだ。俺達三人揃って出来ない事なんかねぇんだからな」
「――――っ、うん!」
喜びに顔を綻ばせたアヤキがエレベーターのボタンを押す。
扉が閉まり、駆動音を立ててエレベーターが地下のどこかを目指して降下する。
ハヤトとレンの二人はアニメでよくある地下基地のようだ、とワクワクしながらエレベーターが止まるのを待った。
――ほどなくしてエレベーターが止まり、目的地についた箱が開く。
『おおおおおおおおぉぉっ!』
そこは二人が想像していたような紛れも無い地下基地だった。
興奮しきっている二人はだだっ広い地下基地を走り回り、雄叫びを上げる。
アヤキも二人がマニアだと言う事を知っていたが、ここまで喜んでもらえると思っていなかった。
「基地基地! 地下基地だ! うぉぉお、すっげぇえぇっ!」
まだ造りかけだというところが所々に見受けられたが、それでも広いスペースの地面はコンクリートで固められ、天井もライトがつけてあって充分地下基地らしく出来ている。
「これ、どうやって……アヤキが創ったのか?」
「そうだ。ずっと前からな。機械入れたりしてさ。業者に頼もうかと思ったんだけど、秘密基地じゃなくなるから、なるべく人を入れないようにして造った。三年も掛かったけどな」
「三年って、三年もお前地下基地造ってたのか!?」
「そうだよ。やっと出来たんだ。でもまだまだこれからだ。これから船作らなくちゃいけないんだからな!」
ニッと笑ってアヤキが隅に置いてある大きな机に向かう。そこには巻いてある紙が何枚も置いてあり、その中の一枚を持ってアヤキが二人を手招きした。
その紙には船の設計図が描かれてあり、ハヤトとレンがゴクリと唾を飲み込む。
「これが俺達の創る船、シルフだ――!」
そしてそれから三年後。ついに三人の夢の船、シルフは完成した。
三人に同調するクルーも増え、今では遊楽戦艦としてシルフは子供の夢を乗せる船となっている。
「……だけど、やっぱり宇宙怪獣はいないんだよな。今の時代に……」
波打ち際を見つめながらアヤキがぼやく。こんなぼやきでもアヤキは本気だ。
一応月や火星まで行けるようになったが、そこにいるのは自分と同じ人間であって怪獣じゃない。ヒーローを呼ぶ声も無く、宇宙は欠伸が出るぐらい至って平和だ。
「次はどこまで行こう。木星は今発展途上だし、テスト兼ねて木星行って、問題なければ土星も行ってみるかな」
誰に言うでもなく、アヤキはそう言って背伸びする。その肩に後ろから誰かの手が置かれた。
「――!」
突然冷たい氷が背中に落ちたような嫌な予感がして、反射的にアヤキはその手を取って捻り込む。
「痛ててっ! アヤキ、ギブギブ!」
「――っレン? 何だ、脅かすなよな」
「いいから早く放せ! て、手が折れる!」
忘れてた、とアヤキが手を放すとレンが手に息を吹きかける。
「ったく、ちょっとは手加減しろよなぁ。俺の手が折れたらどうすんだよ。俺の手はこれからも芸術品を生み出していく神の手なんだぞ」
ボヤくレンにごめん、とアヤキは言うがその表情は晴れない。
――何だ。まだ消えない、この、嫌な予感は。
アヤキは自分のこの勘は何よりも信じている。
何せ今まで一度も外れた事が無いのだ。
昔からアヤキの勘はよく当たり、小さなものは駄菓子屋で当たりつきアイスを連続で十二回当てた事、大きなものであれば嫌な予感がするからと言って教師の制止を振り切って学校の教室から飛び出し、歩き出した先の廊下がガスの臭いが充満していたのに気付いた事からクラス全員をガス爆発から救った事もある。
そして今もアヤキは自分の勘を頼りに株で資産を増やしていたりもするわけであり、自分の勘の良さは神様からの贈り物だとアヤキ自身も思っている。
そのもはや神聖の域まで達そうとしているアヤキの勘がずっと警鐘を鳴らし続けている。
アヤキはそれが何なのかわからないまま、とりあえずシルフへ戻ろうと踵を返す。
しかし、それを防ごうとするようにアヤキとレンの前に突然黒い背広を着たサングラスの男達が現れた。
「……嫌な予感は、これか」
毒づくようにアヤキは言って、背広の男達を睨む。レンも男達に気付いてアヤキの隣へ立った。
どう見ても観光でやって来た風貌ではないし、個性も何も無い黒一色で統一した姿の男達はキャリアを持つガードマンのようだ。
そんな男達がこんな辺鄙な田舎、しかもアヤキ達以外誰も居ない砂浜に来るなんて本当に何か用事があるからしかない。
その用事とやらが簡単にわかってしまったアヤキは口の端を上げて男達に口を開く。少し、威嚇するような口調で。
「何か用ですか? まだ海へ入るにはちょっと早いみたいだけど……」
「サイガ・アヤキさんですね? ご同行を願います」
アヤキの言葉を無視した背広の男の一人がそう言って、一歩前へ踏み出す。
男の低い声は抗うことを許さないという風に鋭くもあった。
「へぇ。オレの事知ってんだ。同行ってどこへ? あんた達一体誰?」
首元へナイフを突きつけられているような男の声に負けず、アヤキは口は笑ったまま睨みを利かせて質問する。
だが男は答える事無く、アヤキへ近づいてくる。
「ご同行願おう」
背広の男の一人がアヤキの手を掴んで強引に連れて行こうと腕を引く。
――いや、引こうとした。
男はアヤキが腕の力の方向を変えただけで、くるんと宙を一回転して砂浜に叩き付けられたのだ。
「問答無用ってわけか。だけどオレはそう簡単に連れて行ける奴じゃないぞ!」
下が砂浜では大したダメージにはならなかったらしく、さっき叩き付けたはずの男が起き上がり、アヤキに飛び掛る。
それを一歩跳び引く事でかわしたアヤキが次に襲い掛かってきた男を一本背負いで投げ飛ばした。
しかし相手は大人、しかも人数が多い。地面が砂浜という最悪の状況の中、アヤキは男達を相手に必死に抵抗する。
だがそれも長く持たない。砂浜に足を取られ、アヤキのバランスが崩れた一瞬の隙――。
「しまっ……」
バアァンッ!
銃声が砂浜に響き渡った。
驚いてアヤキはすぐに男達を見回したが、誰もその手に銃なんて持っていない。
しかも呻いて倒れこんだのは背広を着た男の内の一人だった。
「え、レン……お前!」
銃を持っていたのはレンだった。左手に銃を構え、今さっき撃ったばかりの銃口からは薄く煙が立ち昇っている。
手に拳銃を持ったレンは銃口を背広の男達に向けて威嚇する。
「実弾じゃないが、当たったらソイツと同じように動けなくなるぜぇ? 俺お手製のライトニング・ブレット。喰らいたいか?」
「レン、お前いつの間にそんなもの……」
レンが拳銃を自作で創っていたなんてアヤキは知らなかった。
実弾じゃなく相手を感電させて気絶させるライトニング・ブレット雷撃弾だなんていかにもレンらしいとアヤキは苦笑いを浮かべる。
拳銃の登場に男達は身を引き、レンはアヤキの手を引いて砂浜から出ようとする。
一歩一歩、男達の少しの動きも見落とさないよう細心の注意を払いながら……。
だが突然砂浜に突風が吹き荒れ、砂の礫がレンの眼に入り込む。
「な、なんだ、クソッ……!」
耳鳴りがするほどの大きなエンジン音を立てて砂浜に影が落ちる。
風は止まず、砂を巻き上げながら何かが地上に降りてくる。
「小型揚陸船……!? こんなものまで持って……」
薄目を開けてそれを見たアヤキが驚きに声を上げる。
「揚陸船だと……? アヤキ、早く逃げ――ぐあっ!」
「レン!?」
いつの間にか近づいていた背広の男の一人がレンの後頭部を殴りつけ、レンは砂浜に倒れてしまう。
アヤキはレンを起こそうするが、男に腕を掴まれ、両手を拘束されてしまった。
「くそっ、何す――放せ! レン、レンッ!」
拘束されたアヤキの手に頑丈な手錠がはめられ、降りてきた揚陸船の扉が開く。
背広の男達が有無を言わさずアヤキを揚陸船の中へと連れ込み、再び揚陸船は空へと舞い上がっていく。
「レン! レーンッ! 放せこの野郎、放せえぇぇっ!」
浮かび上がった揚陸船は高度を上昇させ、アヤキの叫びも空しく、レンは意識を手放したままだった。