――暗い室内では白衣を着た何人もの人間が忙しなく動き回っていた。
 その中で一人軍服に身を包んでいた男は満足そうに周りを見渡して口元を歪ませる。
 軍服に刻まれた刻印は男が大将である事を表し、胸元には幾つもの勲章が並んでいた。
 だがその階級や多くの勲章を持つにも関わらず、男の風貌はとても若い。
 茶色の髪を肩まで伸ばし、女性を惑わす優しい瞳を持つ男は知的な雰囲気を纏いながらも決してひ弱な感じはない。長身で堂々とした立ち姿に階級や勲章が不似合いな事はなかった。
 男は狐のように瞳を細ませると、目の前の物に眼を移した。
 ――円筒形の柱の中に浮いた人間の身体。
 特殊な溶液で満たされた柱の中では固く瞳を閉じた人間がその身体に何本もの管を挿した状態でいる。柱の中に入っている人間は男の身体の造りをしていて、しかし髪の毛だけは驚くほどに長い。
「とてもこれが自分とは思えませんね」
 男はそう言って目の前の柱から眼を逸らした。
 すぐ隣にある次の柱に眼をやり、今度は口で小さく『素晴らしい』と呟く。
 隣にある人間は少女のものだった。
 人間としての身体や長い髪は先ほどの男と同じだが、決定的に違うものがある。
 柱の中の少女の背中からは鳥のように翼が生え、まるで卵の中で殻から出る時を待っている天使のようだった。
 益々満足そうに口元を歪める男に、白衣を来た一人の男が歩み寄る。
「プロトタイプは成功です。翼の方も骨格に異常は無く、訓練をすれば羽を意思で動かす事も出来るかと思われます。ただ、やはり人間が飛ぶということは無理でしょう。それでも高値が付く価値はあると思います」
 クリップボードを片手に書類を読み上げた白衣の男はそう言って柱の中の少女を見上げた。
「これだけの美しさですからね」
 自分の作った作品に自画自賛を贈る芸術家のように白衣の男は恍惚とした表情で少女を見る。
 そんな白衣の男に狐の笑みを浮かべた男はやれやれ、という風に首を横に振った。
「外見の美しさなど当たり前の範疇です。それだけでは低俗な連中しか喜ばせることが出来ません。見た目、中身、希少性。それらを兼ね備えてこそ顧客を喜ばせる事が出来るんですよ。確かにこの天使は高値がつくでしょう。でも、それは今だけですよ。プロトタイプだからこそ高値で売れるだけです。天使が当たり前のように市場に並べば希少性は無くなる。そうなればあとは見た目だけですからね。すぐに売れなくなって価値も無くなり、そうなれば簡単に捨てる人間が出てくる可能性がある……それだけは困りますからね。この事態が外に漏れれば私の首が危ないんですから」
 それでも、話している男は表情を変えることもなく淡々としていた。
「もうすぐ素体が手に入ります。手に入れてどれぐらいで一体が出来ますか?」
 その言葉に白衣の男は書類を捲り、考えるように手を顎に当てる。
「身体はもうほとんど成人と変わりませんからねぇ。オプションをつけないなら一体で三時間というところでしょうか。それでも一度は実験体として外に出してから脳や声、反応などの対応テストをしなければいけませんし……ちゃんと機能するかどうかを判断するにはやはり最低でも一日、許していただけるなら二日はいただきたい」
 白衣の男は専門家としての意見を述べたはずなのだが、軍服の男は自分から訊いたはずの言葉に溜息を漏らした。
「まだまだ生産という形にはなりませんね。一体造るのに二日も掛かっては趣味の道楽から抜け出せない。――わかりました。二日の時間を許しましょう。ですが、なるべく早くお願いしますね。……でないと貴方も“世界の為に黙した”人達と同じ運命になりますよ」
 男の狐のような瞳が氷よりも遥かに冷たい光を宿し、その眼を見た白衣の男は顔を強張らせた。
「――は、はい。尽力し、なるべく早くお目にかかれるようにします」
 身体を小刻みに震わせながら白衣の男は一礼して、逃げるように部屋の奥へと消える。
 兎のように逃げていく男の後姿を見送った軍服の男は、これからやって来るであろう至福の時を想像して、再度口を弧に歪ませたのだった。

 ◇

 次の日、食料や新しい部品などの積み込みが半分ほど終了したシルフではシャイランザー買出し班によってクルー達にシャイランザーが行き渡り、仕事を怠けてシャイランザーをやろうとするフトドキ者が出始めていた。
 主に整備班などの男達で、シルフの自室でこっそりやろうとしていたり、シルフの空調配管の中に設備を持ち込んでやろうとする本格派など様々だったが全員アヤキに見つかり、厳しい処罰を受けていた。
「このオレの眼を誤魔化せるとでも思ってんのかねぇ。あ、リナちゃん! 今回のシルフの渡航データ出せる?」
 アヤキルームに入っていたアヤキがコックピットエリアにいるリナに声を掛ける。
「あ、ちょっと時間が掛かると思います。最後の一週間のデータをまだ整理できていないんで……一時間もあれば出せると思います!」
 処罰を受けた男子達から没収したシャイランザーのケースが入ったダンボールを抱えるリナがアヤキに声を掛けられて慌てながら応える。
「それより、アヤキさん。起きてすぐに仕事をして……本当に大丈夫なんですか? エリック君はまだ寝てないとだめだって……」
「大丈夫ダイジョウブ。今度はもう倒れるような事は無いよ。ちょっと今大きい仕事してるから、それが終わったらちゃんと寝るから。これ以上皆に心配かけるわけにもいかないしね」
 朝になってようやく起きたエリックは医務室で寝ていたはずのアヤキが居ない事に驚いて艦内を走り回った。
 結局アヤキがいたのは身体を動かすための場所である道場で、病み上がり、しかも点滴をしていたのにすぐに身体を激しく動かすのは何事だと、シルフでの最高権力者であるアヤキに猛然と説教したのである。
 そんなアヤキに付き合っていたハヤトも同罪として道場で正座をさせられたのだった。
 アヤキはエリックの診察を受け、確かに回復はしているが、それでも一時的なものでしかないとエリックは医者として正確な診断をした。
 だがそれを素直に受けるアヤキでは無く、エリックが自分には弱いという事を知ってか知らずか、アヤキは寝ていなければいけないと言い張るエリックを丸め込んで休養を返上した。
 そしてそれから軽くシャワーを浴びて朝食を食べ、それからはずっとアヤキルームに篭ってキーボードを叩き続けている。
 仕事に行き詰ったら艦内のモニターを見て息抜きしていたのだが、そこで偶然仕事を怠けて遊んでいるクルーを見つけて、いつしかそんなクルー達を見つけるのに夢中になっていた。
 しかしアヤキがあらかた怠けているクルーを探し出したので、もう怠けようとする者もいなくなり、仕事と称してやっていたプログラムももうほとんど出来上がっている。
 やる事が無くなったアヤキは肩の凝った首周りを自分で揉んで、腕を伸ばした。
「一時間かぁ。ちょっと暇になっちゃったなぁ……プログラムも何とか形は完成してるし、ちょっと休憩してからテストしてみるか」
 小さく呟いて、アヤキの周りのイリュージョンモニターが消える。
 宙に浮いていた椅子がコックピットエリアに着き、アヤキは椅子から立ち上がった。
「リナちゃん、ゆっくりでいいよ。ちょっと散歩行って来るから」
「は、はいっ! 頑張ります!」
 優しい言葉を掛けられたリナが嬉しそうに笑ってキーボードを加速させる。
 逆効果だったかな、とアヤキは苦笑いを浮かべながらコックピットエリアを後にした。
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